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けさの中国新聞が宮角さんの写真集の紹介記事を掲載してくれています。
それも、6段組みの破格の扱い。ありがとうございます。 「記事中に使われている写真が、なんでじぶんじゃないんだろうか?」 そんないわれのない疑問や不満をもたれた方もいらっしゃるでしょう。 じつは、こういう所長自身もそうおもいました。 でも納得しますね、この写真の説得力。 石井竜也氏に脱帽です。 祈りの姿に向ってこんなことをいうのは、それこそ不謹慎かもしれませんが、かっこいいです。 ![]()
タイトルもデザインもまだ決定ではありませんが、表紙デザインのサンプルができました。
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下記のイベントに「ヒロシマ平和製作所」も参加して、宮角孝雄写真集の説明会と協賛の申し込み受け付けをします。
モデルになった方、なりそびれた方、いまからなりたい方、そんなの知らなかったという方も、お気軽にお越しください。 いっしょに「平和」を製作しましょう。 アートエクスチェンジ・フェスティバル
神がかりの政権交代のおかげで、ヒロシマ平和製作所は倒産せずにすみました。
みなさん、ありがとう! というのはウソです。ヒロシマ平和製作所は、もともとがやんわりとした意識体とでもいうようなものですから、倒産なんかしようがないのですから。 でも、民主党政権になったことで、ここ広島にも涼風が吹いてきたような気がします。 そんな時代の風に元気づけられて、活動再開です。 いぜんからご案内していた「ヒロシマより愛をこめて」の第2弾の制作も進めようと考えていますが、とりあえず下記の制作を優先させることにします。 宮角孝雄写真集 「グラウンド・ゼロ 祈り」(仮題) 業火の記憶は 浄化の記録となった 作家 堀 治喜 ![]() その写真を個展会場で目にした私は、原爆ドームが悲惨な記憶の廃墟から、希望のシンボルへと昇華した神秘的な瞬間に立ち会ったような興奮を禁じ得なかった。 背景に霞む原爆ドームを前に、異国のカップルが抱擁し唇を重ねている写真……。 だれもが息をのんだはずだ、カメラがとらえたその〝不謹慎〟な構図に。そんなとまどいをあっけらかんとぬぐい去ってしまった写真のチカラに。 原爆ドームという聖地を前にして、かつてこれほど〝不謹慎〟な写真を撮ったものがいただろうか。こんなピースフルな魂が出現したことがあっただろうか。 ずっとずっと、この神聖な場所では〝不謹慎〟はゆるされなかった。だから〝不謹慎〟という観念の呪縛から、だれもが逃れられないできた。 祈り、ねがい、抗議…。あらゆる表現をこころみてきただれもが、しらずしらずに〝謹慎〟という桎梏に縛られつづけてきたのだ。 その呪縛から、やすやすとぬけ出てしまったのが、あの一枚の写真だった。 悲惨を客観視するための時間。 鎮魂が成就した空間。 それが交点をむすんだ時空に神の手がのびて、おもわぬ奇蹟があらわれたのだった。 その瞬間に、宮角さんは立ち会うことがゆるされたのだ。ヒバクの記憶が刻印されたDNAによって、そして、あの夏と同じ暑いドームの前に身をおいてシャッターを押しつづけた日々のはてに…。 いまあらためて、この写真をながめてみる。 悲惨のシンボルは霞んだまま背景に定着され、その前にひと型の未来がまばゆいばかりに輝いている。 ふたりの頭上に注がれた陽光の、なんと祝福にあふれていることか。 目をこらしていると、このふたりが創世神話の男神と女神に化身してゆくのがみえるようだ。 そう、きっとわわれはこの写真に希望をたくして、あたらしい未来を創っていくことになるのだろう… 企画趣旨 広島の原爆ドーム前、長崎平和記念公園、そしてニューヨーク。 写真家・宮角孝雄氏が10年の歳月をかけてシャッターを押しつづけたポートレートは、世界平和を願う祈りの結晶、そして私たちの財産でもあります。 一枚一枚の印画紙に定着された、冷たい怒りの炎、昇華した寛容、死者を悼むおもいやり、未来を見すえる意思、……。 それら一片、一片の記憶をひとつにまとめ、人類未来の希望のチカラとするために、私たちはおもいを共有するひとびととともにこの写真集を刊行することにいたしました。 みなさまにも、なにとぞ趣旨を理解いただきご協力をお願いできればとご案内いたします。 宮角孝雄写真集「GLOUND ZERO 祈り」を刊行する会 事務局 「GLOUND ZERO 祈り」発刊にあたって カメラマン 宮角孝雄 このたび、平和をテーマにしたぼくの作業を写真集として刊行していただけることになり、ありがたくおもっています。 原爆ドームの前で「祈り」をテーマに意識的に写真を撮りはじめて10年。フィールドはヒロシマからナガサキ、そしてニューヨークへと広がりました。いつまで、どこまでの作業になるのか見当もつきませんが、これはライフワークとでもいえるもので、じぶんが生きているかぎり、未来に希望をつなぐことができるかぎり、ぼくはシャッターを押しつづけようとおもっています。 その途上のひとつの成果として、今回写真集を提供できることになったのは、被写体となってくれた方々はもちろん、撮影にご支援いただいたみなさまの「祈り」のたまものなのでしょう。 ここにみなさまに感謝するとともに、あらためてのご協力をお願いいたします。 企 画 ヒロシマ平和製作所 編集発行 宮角孝雄写真集「GLOUND ZERO 祈り」を刊行する会 お問い合わせ 090-8603-1588 堀 販 売 文工舎 〒739-1734 広島市安佐北区口田4丁目23-25 ☎082-842-9462 出版形態 前記の出版趣旨をふまえ、賛同者からの協賛による 本の体裁 サイズ(未定) ページ 200ページ前後 モノクロ 刊行予定 2010年3月31日 発行部数 3,000部(予定) 頒 価 3,500円(予定) 本の売り上げは、宮角氏の今後の活動費となります。 また、売り上げの一部は原爆ドームの保存基金に寄付いたします。
きょうは、ある冊子の紹介です。
以前、何度か記事にしているスワローテールの「語り部の会」で知りあったミュージシャンたちが発行しているある「TO FUTURE」。 「反核・平和」を“パンク”にアピールする異色の冊子です。 代表編集者なのかな、O氏は「パンクは反権力ですから、反戦、反原発ですよ!」と、胸を張っていましたから、こちらが不勉強で知らないだけで、パンカーたちのまわりでは意外にこのテの活動は活発なんかもしれませんが…。 さっそく読ませてもらって、感心しました。なにに感心したといって、その行動力とフットワークのよさ。 広島の上空で、ある芸術集団が「ピカッ」の文字を描いて問題になったとき、かれらを招聘していた広島市現代美術館に即座に抗議の取材に走り、「長崎の鐘」を読んで感銘をうけると、さっそく著者の永井隆氏の記念館を訪れ、館長の永井徳三郎氏にインタビューを敢行する。 もちろん、その行動力はやみくもな好奇心というようなものではなくて、源泉となっているのは「LOVE & PEACE」への熱く真摯なおもいでしょう。 頭がさがります。 内容は下記の通り。 ■永井館長(永井隆記念館)インタビュー ■“殺しあうより愛しあいましょう” ISHIYA(コラム) ■“沖縄を歩くー戦没者慰霊巡礼” ANDY ■現代美術館 インタビュー ■コメント 2009SPRINNG ■編集後記 ここで私がわかったようなことをだらだら書くよりも、編集後記がわかりやすい解説になっているので、ここに転載させてもらいます。 なかなかの感動ものです。 ![]() 何をしていいか分からないなりに、手探りで「TO FUTURE」を始めて、今年で5年目になりファンジンは今回で5号目を発信することができた。 まだ、動き出したばかりだけど「TO FUTURE」が俺の中の1部分として、ちゃんと馴染んできたように思います。1歩踏み出しただけで変わる景色の違いを、今更だけど実感しました。 活動を始める前の俺の中にも「戦争反対! 核兵器反対!」って気持ちは確かにあった。 だけど、ただ自分のなかに持っているでけで、声に出し行動をする事はなかった。 今思えば、あきらめにも似た冷めた気持ちで世の中を見ていたのかもしれない。 あの頃の俺は、人間の事も、未来の事も信じる事が出来てなかったんだと思う。 でも、そんな俺も「TO FUTURE」の活動を通じて新たな発見があり出会いもあった。 そして今回は永井隆記念館の永井館長と出会い、新たに未来への勇気と希望をもらった。 やがて被爆体験者がいなくなり、戦争を知らない世代だけの時代になる21世紀。 永井館長の言っていた様に戦争を知らない世代の俺達の出来る事は力まず、無理をせず、自分の知っている事を正確に次の世代に伝えていく事なんだと思う。 転載ここまで この冊子に興味のあるかたは下記に。 TELFAX 082-24i-0782 大小田さん 広島平和製作所の「ヒロシマより愛をこめて」もよろしく。
ひさびさの投稿で、悲しいおしらせをしなければなりません…。
なーんて、それほどのことではないのですが、シャクゼンとしないお話です。 きのう、本年度の「ヒロシマ・アピールズ」ポスターの制作者に浅葉克己氏が決定したことが発表されました。 これは日本グラフィックデザイナー協会と広島国際文化財団が企画主催するもので、文字通りポスターによって広島からヒロシマをアピールしようというもの。 1983年にはじまり、一時の中断をはさんで今回が12作目となるそうです。 制作者に決まった浅葉氏の経歴、実績、才能は非の打ち所はなく、それらになんの疑念もないのですが、ひとつひっかかるところがあるのです。 それはさきにこのブログでも話題にした「明日の神話」の誘致問題。その渋谷誘致の応援サポーターに、かれがなっていたのが気になったのです。 もちろんかれにはかれなりのおもいや考えはあったのでしょうが、「明日の神話」を広島にではなく、渋谷に誘致するべきだとの意志を表明した人物に「ヒロシマ・アピールズ」を制作してもらうのがふさわしいのかどうか、個人的には疑問に思うのです。 そして、広島とヒロシマが、なんだかばかにされているような…。 ![]()
「原子力発電はクリーンな電気のつくり方」
こんなまやかしコピーが全国津々浦々に莫大な予算(いうまでもなく私たちの払う電気料を勝手に使ってのことですが)を投じて垂れ流されているのはご存知でしょう。 みんな眉をひそめて見聞きしていたこの広告コピー。それを「嘘っぱちだ」と、広告審査機構のJAROに苦情を申し立てた男性がいたようです。 「事故時の放射能汚染の危険性があり、到底クリーンとはいえない」というのが、そのいいぶん。 (すでに事故でさんざんまき散らしているようですが) この申し立てを受けて、学識経験者7人で構成する審査委員会で審議した結果、 「安全性について十分な説明なしに、発電時に二酸化炭素を出さないことだけをとらえて『クリーン』というべきではない」と結論づけたそうです。 そして「原子力発電にクリーンという表現をつかうことはなじまない」と、電事連に通達したとか。 JAROは広告ギョーカイの団体ですから、チョウチンのようなお飾りの団体。財界にモノ申すようなことはないだろうとおもっていましたが、どうしてどうして良識あるところだったようです。 ハチドリの一滴じゃありませんが、たたひとりのひとことがコトを動かすんですね。 ところで、せっかくなので、こんな広告コピーを考えてみました。 「原子力発電はダーティなお金の作り方」 まさかこんな本音のコピーが、電気事業連合会の雑誌に掲載されることはないでしょうね。
ICBUW運営委員:嘉指信雄氏よりメールをいただきました。
下記に転載いたします。 最後の【訳注2】に示された見解は、今後の市民運動の参考になるでしょうし、こうした流れになっていくのでしょう。 2009年1月14日 皆様 バルカン半島の旧ユーゴでの紛争にNATOが介入し た際[1994-1995年のボスニア=ヘルツェゴヴィナ及び 1999年のコソヴォ]、米軍は多量の劣化ウラン弾を使用しましたが、その後、PKO(平和維持部隊)などとして紛争地に派遣されたヨーロッパ諸国の兵士の間から白血病やがんの患者が多く現れ、「バルカン 症候群」として大きな問題となりました。[2001年1 月、EU 議会は、「劣化ウラン弾使用のモラトリアム (使用停止)」を求める決議を初めて採択。] 特にイタリアでは、病気になった退役軍人や遺族 が国に補償を求めて裁判に訴えるケースがここ数年 相次いでおり、政府も真剣な対応を余儀なくされてきています。昨年末には、ついに国防大臣が「劣化 ウラン被害者」の存在を初めて公に認め、ウラン兵 器への被曝によって疾病に罹患した兵士に対する「補償」を行うことが閣議決定されました。NATOに属するイタリアでの、このような動きは、ウラン兵 器被害者への補償・支援にとって重要であるだけで なく、そのような健康被害を引き起こすウラン兵器 そのものの禁止に向けても大きな意義があると言え ます。 1月9日付けで、「ウラン兵器禁止を求める国際 連合」(ICBUW)のホームページに掲載された、イタリアからの報告の日本語訳をご紹介します。 ICBUW運営委員:嘉指信雄/ 振津かつみ/森瀧春子 *** イタリア政府、退役軍人への「劣化ウラン被害一括 補償」を閣議決定 補償総額3000万ユーロ(約40 億円) ステファニア・ディヴェルティート(ジャーナリス ト/ICBUW 運営委員):イタリア、2009年1月9日 イタリアでは、昨年12月、国防省が政府に「健康障害と劣化ウラン被曝との関連」を受け入れさせ、補償一括法案が合意された。また今後数ヶ月のうちに、国外派兵された兵士の健康調査が発表される予定である[訳注1]。2008年12月18日の閣議において、イグナツィオ・ラ・ルッサ(Ignazio La Russa)国防大臣は、劣化ウラン被害者に対する3000万ユーロの補償一括法案への承認を勝ち取った。補償金は、今後3年間にわたって支払われる。 この閣議決定は、病気の退役軍人に対する財政支援を決めたことに加え、ウラン兵器への曝露によって疾病に罹患した兵士がいることを認めたものである。閣議後の記者会見において国防大臣は、「劣化ウランやナノ粒子の被害者である兵士やその家族を支援することは、我々の義務である」と述べた。しかし、この重要な発言は、主要メディアによりほとんど取り上げなかった。この決定は、調査委員会を任命したプロディ前政権が着手した作業の最終段階となるものである。2008年3月に作業を終えた委員会では、退役軍人の疾病の明確な原因として劣化ウランを挙げることはしていなかったものの、劣化ウランが使用された戦闘地域の環境汚染が疾病の原因の一つとなり得るとの判断を示した。 委員会はまた、立証義務を逆転させるべきであるとの見解を示した[訳注2]。つまり、派兵後に兵士が病気になったり、あるいは兵士の体内に重金属ナノ粒子が検出された場合には、劣化ウランが使用された地域へ派兵されていたとの証明があれば、補償を得るための十分な根拠となると結論づけたのである。このような重要な動きは、亡くなった兵士の家族や、白血病を患って国を相手に訴訟を起こしている兵士にとって、大きな力となっている。そのような補償を求める裁判のひとつが、亡くなったヘリコプター操縦士のステファノ・メローネ氏の妻が闘った訴訟だった。何年にも及ぶ闘いの末、昨年12月、ついに最高裁は、メローネ氏の死亡に対して補償を行うようにとの判決を下した。 しかしながら、この閣議決定にもかかわらず、国外派兵から帰還したイタリア兵の健康評価については、まだ二つの大きな問題が残されている。イタリア軍の各々の管轄区から、疾病に罹患した兵士のデータを収集し照合するために、何百人もの職員が作業を行ってきたが、期限が過ぎてもまだ結果が出ていない。データを記入した用紙が集められたが、しばしば記載が不完全な、これら何千もの用紙から、データをデジタル様式に入力し直すという作業がゆっくりと行われている。この調査の当初の期日は2008年10月だったので、国防省の職員は調査を終わらせるべく全力で作業を行っている。イタリア兵に関する初めての完全なスクリーニングとなるこの調査結果が、数ヶ月のうちには公表されるものと期待される。調査結果は、イタリアの退役軍人の間の健康障害の程度について、より明らかな状況を示すものと期待される。 健康評価の公表が当初の計画より遅れていることに加えて、オッセルヴァトーリオ・ミリターレ(Osservatorio Militare)やAnavafafなどの、退役軍人の団体は、調査データが不完全であることを批判している。調査は、1996年から2006年の間についてしか行われておらず、これでは、イタリア軍がボスニア(1994年)とソマリア(1995年)に派兵された期間が除外されてしまうことになるのである。2007年末に政府が任命したイタリアの科学委員会の作業は、1年も遅れてしまったが、委員会にとって、今年は重要な年になるだろう。委員会には、核エネルギー専門家のマッシモ・ズケッティ)Massimo Zucchetti教授、ナノ粒子研究者の(マリア・アントニエッタ・ガッティ)Maria Antonietta Gatti、疫学者の(ヴァレリオ・ジェンナロ)Valerio Gennaroも参加している。 【訳注1】今回の「一括補償」の対象者となる退役軍人の人数についてディヴェルティートさんに問い合わせたところ、「いまだに政府はその数を公表しておらず、情報の入手は難しい」とのことだが、退役軍人団体「オッセルヴァトーリオ・ミリターレ」は、「166人の帰還兵がすでに死亡し、2537人が疾患に罹っている」と報告している。 【訳注2】これまでは、病気にかかって補償を求めている兵士の側が、「劣化ウラン被曝と疾病との間に因果関係がある」ことを、政府に対して証明しなければならないとされていたが、その立場を逆転させて、「因果関係はない」と政府側が証明できないのであれば、補償をすべきであるとした。 以上
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